医療法人化の相談で、税金の話はひととおり詰めたのに、最後になって「そういえば、社会保険はどうなるんですか」と切り出される先生が少なくありません。
むしろ、この論点こそ先に確認しておくべきものです。
法人化によって手残りがいちばん大きく動くのは、税金ではなく社会保険料だった——そういうケースが、実際にあるからです。
個人開業医の先生の多くは、国民年金と医師国保という組み合わせで加入されています。
ところが医療法人になると、法人は社会保険の強制適用事業所となり、厚生年金への加入が避けられません。
将来の年金額が増えるという確かなプラスがある一方で、法人と個人の双方が保険料を負担することになります。
この記事では、その変化を制度ごとに分解して整理します。
年金そのものの考え方については、動画でも解説しています。
この記事の結論
- 医療法人になると、社会保険はどう変わりますか。
- 法人は社会保険の強制適用事業所になります。したがって厚生年金への加入は必須です。国民年金だけだった先生は、ここで加入する制度そのものが切り替わります。
- 医師国保は続けられますか。
- 健康保険については、所定の手続き(健康保険被保険者適用除外承認申請)を経て、医師国保を継続できる場合があります。
ただし厚生年金は適用除外にできません。
また申請は原則、法人設立などの事実発生日から14日以内とされており、期限を過ぎると理由書の提出が必要になります。
要件・期限は必ず事前に社会保険労務士や年金事務所へご確認ください。 - 法人化の判断にどう影響しますか。
- 節税効果だけを見て決めると、社会保険料の増加で手残りが想定を下回ることがあります。税金と社会保険料の両方を含めて試算したうえで判断すべき論点です。
個人開業医のとき——国民年金と医師国保という組み合わせ
まず、法人化する前の状態を確認しておきます。個人でクリニックを開業されている先生の場合、公的な保障は次の2本立てになっていることが多いはずです。
年金は、国民年金(第1号被保険者)です。保険料は所得にかかわらず定額で、受け取る老齢基礎年金も、納付期間に応じた定額です。
所得が多くても保険料は増えませんが、その代わり、将来の年金額も増えません。
医療保険は、多くの先生が医師国保(医師国民健康保険組合)に加入されています。
市町村の国民健康保険が所得に応じて保険料が上がっていくのに対し、医師国保は所得にかかわらず保険料が定額であることが多いのが特徴です。
これは、高い所得を得ている先生にとって有利に働きます。
所得がいくら伸びても、医療保険料の負担はそこで頭打ちになるからです。
個人開業医の先生の社会保険は、所得が増えても保険料が青天井には増えない構造になっていることが多い、ということです。
だからこそ、法人化してこの構造が変わったときのインパクトが大きくなります。
まずは「今どうなっているか」を正しく把握するところが出発点です。
医療法人になると何が変わるのか——強制適用事業所という立場
医療法人を設立すると、その法人は社会保険(健康保険・厚生年金保険)の強制適用事業所になります。
法人である以上、従業員が何人であっても、また理事長お一人であっても、原則として適用の対象です。
「うちは小さいから」「スタッフが少ないから」という理由で免れられるものではありません。
ここで先生ご自身の立場も変わります。個人事業では、先生は事業主であって従業員ではありませんでした。
医療法人では、先生は法人から役員報酬を受け取る立場になります。つまり被保険者になるということです。
個人事業と医療法人での違い
| 個人開業医(法人化前) | 医療法人(法人化後) | |
|---|---|---|
| 年金 | 国民年金(第1号被保険者) | 厚生年金(適用除外にできない) |
| 医療保険 | 医師国保、または市町村国保 | 健康保険(協会けんぽ等)が原則。所定の手続きで医師国保を継続できる場合がある |
| 保険料の負担者 | 全額を個人が負担 | 法人と個人が折半で負担(法人負担分も実質的には先生の原資) |
| 保険料の算定 | 国民年金は定額。医師国保も定額であることが多い | 役員報酬の額に応じて決まる(上限あり) |
| 将来の年金 | 老齢基礎年金のみ | 老齢基礎年金+老齢厚生年金 |
表の中でとくに見ていただきたいのが、保険料の負担者の行です。
厚生年金の保険料は法人と個人で折半しますが、法人負担分の原資も、結局は先生のクリニックが生み出した利益です。
「半分は法人が持ってくれる」ではなく、「法人と個人の両方から出ていく」という見方をしたほうが、実態に近いと考えています。
役員報酬を高く設定すると、法人税は下がりますが、社会保険料は役員報酬に連動して増えます。
役員報酬の額を決める場面では、所得税・住民税・法人税だけでなく、社会保険料まで含めて考える必要があります。
この点は医療法人の役員報酬はいくらにすべきかでも触れています。
医師国保は継続できるのか——適用除外承認という手続き
ここが、この記事でいちばんお伝えしたい論点です。
法人化すると健康保険(協会けんぽ等)に加入するのが原則ですが、健康保険については、所定の手続きを行うことで医師国保を継続できる場合があります。
この手続きが「健康保険被保険者適用除外承認申請」です。
承認が得られれば、健康保険の適用を除外して、それまでの医師国保に引き続き加入するという形をとれます。
医師国保の保険料が定額であることが多いことを考えると、これが継続できるかどうかで、法人化後の負担は相当に変わります。法人化を検討する段階で、必ず確認しておくべき事項です。
厚生年金は、この手続きの対象外です。適用除外にできるのは健康保険であって、厚生年金への加入は避けられません。
また、この申請には期限があります。日本年金機構の案内では、原則として、法人設立などの事実発生日から14日以内に申請することとされています。
14日を過ぎた場合は、やむを得ない理由を記載した理由書の添付が必要になります(法人設立の登記に日数を要した場合など、認められる余地はあります)。
承認を受けるには加入している国保組合(医師国保組合)の理事長と厚生労働大臣の承認が必要で、申請書の提出先は事務センターまたは管轄の年金事務所です。
添付書類など具体的な取扱いは医師国保組合によって異なることがあります。必ず事前に、社会保険労務士や年金事務所にご確認ください。
この記事の記載は一般的な整理であり、先生のケースでの可否を保証するものではありません。
実務上よくあるのが、設立の手続きに追われているうちに14日の申請期限が過ぎてしまうというパターンです。
医療法人の設立は認可申請から登記まで工程が多く、社会保険の届出は後回しになりがちです。
設立のスケジュールを組む段階で、この手続きをいつ誰が行うのかまで決めておくことをおすすめします。
厚生年金は損なのか——将来の年金という見返り
ここまで負担増の話が続きましたので、公平にプラスの面も書いておきます。
厚生年金に加入すると、将来受け取る年金は老齢基礎年金に老齢厚生年金が上乗せされます。
国民年金だけだった先生にとっては、受け取る年金が二階建てになるということです。
国民年金の老齢基礎年金は納付期間に応じた定額ですが、老齢厚生年金は納めた保険料に応じて増えていきます。
さらに、公的年金には受給期間に上限がないという性質があります。何歳まで生きても支給は続きます。
長生きするほど受取総額は増え、どこかの時点で払い込んだ保険料を上回っていきます。これは民間の金融商品にはない特徴です。
加えて、支払った保険料は社会保険料控除の対象になりますから、その分の所得税・住民税は軽くなります。
所得の高い先生ほど、この控除の効果は大きく効きます。
また、厚生年金には老齢年金以外の保障も含まれています。
障害を負ったときの障害厚生年金、亡くなったときの遺族厚生年金は、国民年金だけの場合より手厚くなります。
保険料の負担増を「掛け捨てのコスト」と捉えるのは、正確ではありません。
年金を損得で語るときに難しいのは、何歳まで生きるかによって答えが変わることです。
早くに亡くなれば払い損に見えますし、長生きすれば得になります。
ただ、公的年金の本来の役割は「長生きしたときに困らないようにする保険」です。
投資の利回りと同じ物差しで測ると、判断を誤ります。厚生年金への加入を負担増とだけ捉えず、保障が厚くなる面も併せて評価するのが、フェアな見方だと考えています。
法人化を判断する前に——税金と社会保険料を一緒に並べる
医療法人化のメリットとして語られるのは、たいてい税金の話です。
所得税の累進課税から法人税へ移ることによる税率差、役員報酬による所得分散、退職金、社宅、出張日当。
どれも確かに効果のある論点です。
ただ、節税効果だけを見て法人化すると、社会保険料の増加で手残りが想定より減ることがあります。
とくに、医師国保の継続手続きが間に合わなかった場合や、役員報酬を高めに設定した場合は、その差が無視できない大きさになります。
税金が下がった分を、社会保険料が食べてしまうという構図です。
当事務所が法人化の試算をするときに必ず両方を並べるのは、このためです。
比べるべきは「税金がいくら減るか」ではなく、「先生の手元にいくら残るか」です。
この考え方は、医療法人にしないほうがいい人でも、医療法人化シミュレーションでも一貫しています。
厚生年金保険料(法人負担分+個人負担分)/健康保険料(医師国保を継続できる場合とできない場合の両方)/スタッフ分の社会保険料の法人負担/社会保険料控除による所得税・住民税の軽減額——このあたりを漏らすと、試算の結論が変わってしまいます。
とくにスタッフ分の法人負担は、人数の多いクリニックでは金額が大きくなります。忘れられがちな項目です。
そのうえで申し上げると、社会保険料が増えることそれ自体は、必ずしも法人化を見送る理由にはなりません。
将来の年金と保障が増えるという見返りがあるからです。
大切なのは、増える分と減る分を数字で把握したうえで、納得して決めることです。
知らないまま法人化して、あとから気づくのがいちばん避けたい形です。
個人のままでいる場合にかかる事業税も、法人化の判断材料になります。→ 個人開業医の事業税
社会保険料まで含めて、数字で確かめませんか。
これから法人化を検討される先生には、「医療法人化シミュレーション」で、税金だけでなく社会保険料の変化まで含めた手残りを数字で見ていただけます。
医師国保の継続を前提にした場合と、そうでない場合の両方を並べてご説明します。
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最終更新:2026年9月1日
本記事は一般的な情報提供を目的としたものであり、個別の税務判断を保証するものではありません。記載の制度・取扱いは執筆時点(2026年8月)のものであり、その後の法改正等により変更される場合があります。実際のご判断にあたっては、必ず税理士等の専門家にご相談ください。