長く続けてきた医療法人を後継者に引き継ぐとき、あるいは診療から退くとき。理事長ご自身の手元に、まとまった資金をどう残すか。この問いに対する答えの中心にあるのが、理事長退職金です。

退職金には、給与や報酬とはまったく別の、極めて有利な課税ルールが用意されています。

さらに医療法人の場合は、配当ができないという医療法上の制約があるからこそ、退職金の重みが一般の会社よりも大きくなります。

この記事では、税制優遇の中身、支給額の考え方、そして出資持分の評価に与える影響を整理します。

この記事の内容を、動画でも解説しています。

この記事の結論

退職金は、なぜ税金が安いのですか。
理由は2つあります。

①退職所得控除という大きな非課税枠があること(勤続20年以下は年40万円、20年を超える部分は年70万円で積み上がります)、②控除後の金額のさらに2分の1だけが課税対象になり、しかも他の所得と分けて計算されることです。

同じ金額を報酬で受け取る場合とは、負担がまったく違います。
医療法人にとって、どんな意味がありますか。
医療法人は剰余金の配当が法律で禁止されています。つまり、法人に貯まった利益を理事長が受け取る出口が限られている。

勇退時にまとまった資金を正面から手にできる、数少ない合法的な手段が退職金です。
いくらでも出していいのですか。
いいえ。不相当に高額と判断された部分は、法人の経費(損金)として認められません。

実務では「最終月額報酬×勤続年数×功績倍率」という考え方で妥当性を検討します。

金額は、退任の何年も前から設計しておくものです。

配当できない医療法人にとって、退職金が持つ意味

一般の会社であれば、法人に利益が貯まったとき、株主に配当という形で分配する道があります。

しかし医療法人には、剰余金の配当が法律で禁止されています。非営利性を担保するための規定で、これは医療法人である限り避けられません。

その結果、法人に貯まった利益が理事長個人の手元に移る経路は、実質的にかなり限られます。役員報酬として毎月受け取るか、退任時に退職金として受け取るか。大きく言えばこの2つです。

つまり、こういうことです

毎月の報酬で受け取れば、所得税・住民税に加えて社会保険料もかかり、しかも累進税率で高い部分から削られていきます。

一方、退職金は一度きりのまとまった支給でありながら、後述する優遇によって手取りの残り方がまるで違います。

医療法人の理事長にとって、退職金は「あれば嬉しい上乗せ」ではなく、資金を受け取る本線の一つだとお考えください。

そしてもう一点。退職金は法人側では原則として経費(損金)になります。受け取る側が優遇され、支払う側も経費にできる。この構図が、退職金という制度の力の源です。

退職金の税制優遇——2つの仕組み

なぜ退職金の税負担が軽いのか。仕組みは2つに分解できます。

① 退職所得控除——勤続年数に応じた大きな非課税枠

まず、受け取った退職金からそのまま差し引ける枠があります。勤続年数で計算します。

勤続年数退職所得控除額
20年以下 40万円 × 勤続年数(計算結果が80万円に満たない場合は80万円)
20年超 800万円 + 70万円 ×(勤続年数 − 20年)

20年を超えた部分は1年あたり70万円と、単価が上がります。長く務めるほど枠が加速して増える設計です。

たとえば勤続25年なら、800万円+70万円×5年=1,150万円。

勤続30年なら、800万円+70万円×10年=1,500万円になります。

② 2分の1課税と、分離課税

控除しきれずに残った金額が、そのまま課税されるわけではありません。残った金額の2分の1だけが、課税の対象になります。

式にすると、こうなります。

さらにこの退職所得は、その年の給与や医業所得など他の所得とは合算せず、分けて税額を計算します(分離課税)。

合算されないということは、他の所得のせいで税率が跳ね上がることがない、ということです。

加えて、退職金には社会保険料もかかりません。

同じ金額を報酬で受け取ったら

仮に同額を役員報酬に上乗せして受け取れば、全額が課税対象で、他の所得と合算されて累進税率が適用され、社会保険料の対象にもなります。

「大きな控除」「2分の1」「分離課税」「社会保険料の対象外」——この4つが重なることで、退職金の手取りは報酬の場合と大きく差がつきます。

注意:勤続5年以下の役員は2分の1が使えません

役員としての勤続年数が5年以下の場合、この2分の1課税は適用されません。「法人を作ってすぐに退職金を出す」といった短期の設計は、想定した効果になりません。

退職金は、長い勤続年数があってこそ効く制度だとお考えください。

なお、退職金の課税ルールは、近年、政府の税制調査会などで見直しの議論が続いている分野です。

現在の有利な取扱いが将来も同じである保証はありません。制度が変わり得るという前提で、時間軸を持って準備することをおすすめします。

いくらまで出せるのか——功績倍率法と、否認のリスク

では、退職金はいくらまで出せるのか。法令に「上限はいくら」という明確な金額基準はありません。ただし、不相当に高額と判断された部分は、法人の経費として認められません。

そこで実務でよく使われるのが、功績倍率法と呼ばれる考え方です。

功績倍率は、その役員が法人に対して果たした貢献の度合いを反映させる係数です。

理事長・代表者については3.0前後が用いられることが多いとされますが、これは法令で定められた数字ではなく、あくまで実務上の目安です。

試算のイメージ

最終月額報酬150万円、勤続25年、功績倍率3.0で計算すると、150万円×25年×3.0=1億1,250万円

ここから退職所得控除1,150万円(=800万円+70万円×5年)を差し引き、残り1億100万円の2分の1である5,050万円が退職所得となり、これに分離課税で所得税・住民税がかかります。

支給額全体に対する税負担は、ざっくりと2割強のイメージです。

同じ金額を報酬で受け取った場合とは、手元に残る額がまったく違ってきます。

注意すべきなのは、この式が「この金額なら必ず認められる」というお墨付きではないという点です。否認されやすいのは、次のようなケースです。

否認されやすいパターン

功績倍率が同規模・同業種の水準に比べて明らかに高い退職の直前に役員報酬を不自然に引き上げ、計算の土台となる最終月額報酬を大きく見せている退任したはずの理事長が、実質的に従前と変わらず経営に関与し続けている(退職の事実そのものが疑われる)社員総会等の適正な決議を経ていない、議事録が残っていない——といったケースです。

不相当に高額とされた部分は損金不算入となり、法人税の負担だけが増える結果になります。

特に「退職金を大きくするために、直前だけ報酬を上げる」という発想は、税務調査で真っ先に見られる論点です。

退職金の水準は、退任の直前ではなく、何年も前からの役員報酬の設定と地続きだとお考えください。

役員報酬をどう決めるかについては、こちらの記事で整理しています。

理事長退職金の計算の流れ。最終月額報酬150万円×勤続25年×功績倍率3.0で1億1,250万円。そこから退職所得控除1,150万円を引き、残り1億100万円の2分の1である5,050万円が退職所得となる。分離課税で社会保険料もかからない。
大きな控除、2分の1、分離課税、社会保険料の対象外——4つが重なることで手取りに差がつきます。

持分あり医療法人では、相続対策としても働く

ここは、持分あり医療法人の先生にとって重要な視点です。

退職金を支給すれば、その分だけ法人の利益が減り、純資産も減ります。

そして出資持分の評価額は、法人の純資産の大きさに強く連動します。つまり、退職金の支給には、出資持分の評価額を引き下げる効果があります。

持分あり医療法人では、理事長に相続が起きたとき、出資持分が相続財産として評価されます。

換金できない持分に多額の相続税がかかり、納税資金が用意できない——これが、持分あり法人の相続で実際に起きている問題です。

退職金は、理事長個人にまとまった資金(=納税資金にもなり得る現金)を残しながら、同時に持分の評価を下げるという、両方向に効く数少ない手段だと言えます。

事業承継との組み合わせ

後継者へ持分を移すタイミングと、理事長へ退職金を支給するタイミングをそろえると、評価が下がった状態で承継できることになります。

ただし、これは法人の財務体力や資金繰り、そして持分の取扱い方針(持分なし法人への移行を検討するかどうか)と一体で考えるべき論点です。

順序を誤ると、法人の資金が細るだけで終わります。

原資をどう準備するか

退職金は、金額が大きいだけに「制度としては使えても、現金がない」という事態が現実に起こります。退職金の設計とは、突き詰めれば原資の準備計画のことです。

準備の方法としては、法人内部に計画的に利益を留保しておく方法のほか、生命保険を活用して支給時期に合わせて資金を用意するという考え方が一般的に採られています。

保険を使う場合、保険料の経理処理(資産計上か損金算入か)は契約内容によって取扱いが分かれ、税制も改正が重ねられてきた分野です。

保険については、商品ありきで考えないこと

当事務所は特定の保険商品をおすすめする立場にはありません。

お伝えしたいのは、「節税になるから入る」ではなく、「いつ、いくら必要か」を先に決めてから手段を選ぶという順序です。

退任予定時期と目標支給額が決まっていなければ、どの方法が適しているかは判断できません。

退職金は、決算前に慌てて考えて間に合うものではありません。勤続年数が効き、役員報酬の水準が効き、法人の資金繰りが効く。いずれも、数年から十数年の時間をかけて積み上がるものです。

理事長ご自身の引退が視野に入る前から、逆算して設計しておくことをおすすめします。

退職金の原資として保険をすすめられることがあります。その前に一度お読みください。→ 医師に保険の営業が多い理由

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最終更新:2026年9月1日

この記事について
本記事は一般的な情報提供を目的としたものであり、個別の税務判断を保証するものではありません。記載の制度・取扱いは執筆時点(2026年8月)のものであり、その後の法改正等により変更される場合があります。実際のご判断にあたっては、必ず税理士等の専門家にご相談ください。
税理士・行政書士 山下久幸

税理士・行政書士山下 久幸

福岡で税理士事務所を営む。医療法人の設立・税務と、資産形成・相続サポートを専門とする。

税理士と行政書士の資格を一人で保有し、法人化の判断から認可申請、設立後の顧問、相続の設計までを一貫して担当している。