相続の話になると、多くの先生が「相続税がいくらかかるか」を気にされます。 でも本当に怖いのは、相続税ではありません。何を引き継ぐかです。

継ぐ人のいない医院の建物。院長のご実家の田んぼや山。 親の代では資産だったものが、子の代では持っているだけでお金が出ていく財産になります。 不動産ならぬ「負動産」です。

いま、こうした財産を引き継ぎたくないという理由で、相続放棄が増えています。 ただ、放棄は3か月以内で、良いものだけ受け取ることはできません。

この記事では、医院の建物が負動産になりやすい理由と、相続登記の義務化で変わったこと、 そして院長が元気なうちにやっておく「財産の棚卸し」をまとめます。

この記事の内容を、動画でも解説しています。

この記事の結論

なぜ医院の建物が「負動産」になるのですか。
医院の建物は、医院として使う人にしか価値が出にくいからです。継ぐ人も買う人もいなければ、固定資産税と修繕費だけが残ります。閉じてから年数がたつほど、設備も古くなり、譲れなくなります。
いらなければ、放棄すればいいのでは。
放棄は、相続を知ってから3か月以内に家庭裁判所で手続きします。そして「全部いらない」の手続きです。医院の建物だけ放棄して、預金は受け取る、ということはできません。
院長はいま、何をすればいいですか。
元気なうちに、財産と借入・保証を1枚に書き出してください。いらないものは売る、医院は継ぐ人か譲る先を探す。決めるのは、話せるうちにしかできません。

相続放棄が、10年で約1.7倍になりました

最高裁判所の司法統計によると、2025年に家庭裁判所が受け付けた相続放棄は約32万件。 10年前の2015年は約18万9,000件でしたから、約1.7倍に増えています。

相続放棄というと、「借金が多すぎたから」と思われがちです。 例えば、預金が100万円しかないのに、借金が1,000万円ある。 全部を引き継げば900万円のマイナスです。これを避けるのが、もともとの使い方でした。

いま増えているのは、それとは違います。 借金はないけれど、引き継ぐと毎年お金がかかる不動産がある。 売れない実家、使わない田畑、遠くの山林。これを嫌って放棄する人が増えています。

私の実家も、同じです

私の実家は九州の山あいの米農家で、父が長男として継ぎました。私も長男ですが、福岡で暮らしていて、実家に戻る予定はありません。 先日、父と話して初めて知ったのですが、昔の田んぼの整備の費用を、いまも毎年30万円ほど払っているそうです。 米を作らない私や弟が、それを引き継ぎたいか。正直、引き継ぎたくありません。 子の代にまで回すことを考えると、なおさらです。

医院の建物は、医院としてしか売れにくい

院長の家では、ここに医院の建物が加わります。 まず、何が相続の対象になるかを整理します。個人の医院と医療法人で違います。

 個人の医院医療法人
医院の土地・建物院長個人のもの。そのまま相続されます法人名義なら相続財産ではありません。院長個人の名義で法人に貸しているなら相続されます
医療機器・内装院長個人のもの。相続されます法人のもの
借入・リース院長個人の債務。相続されます法人の債務。ただし院長の連帯保証は相続されます
法人そのものなし持分ありの法人なら、出資持分が相続されます

医療法人でも、土地と建物は院長個人の名義で、法人に貸している医院は多いはずです。 その場合、法人が閉じれば、借り手のいない医院の建物が院長個人に残ります。 貸し方の注意点は医療法人の不動産賃料|理事長の土地・建物を法人に貸す方法と注意点にまとめています。

なぜ売れにくいのか

医院の建物は、医院のためにつくられています。 診察室と処置室の間取り、レントゲン室の遮へい、歯科ならユニットごとの給排水や配管。 医院として使う先生には価値がありますが、住宅や店舗として使う人には、改装費がかかる建物です。

どちらも、医院として引き継ぐ先生が見つかれば資産です。 見つからなければ、固定資産税と修繕費だけが毎年出ていきます。

しかも、医院だけの建物の土地には、住宅の土地の固定資産税を軽くする特例(200㎡までは課税の基準が6分の1になる、など)がありません。 住まいと一緒の併用住宅でも、住まいの部分の割合が小さいと、軽くなる範囲も小さくなります。

閉じてからでは、譲りにくくなります

医院として価値があるのは、患者さんが通っていて、設備が動いているうちです。 閉院して何年もたつと、設備は古くなり、患者さんも別の医院に移ります。 譲るなら、診療を続けているうちに。 譲る出口と閉じる出口でお金の向きがどう変わるかは、 出口を考える|終わり良ければ全て良しをご覧ください。

相続登記の義務化で、放っておけなくなりました

これまでは、誰も使わない土地は、親の名義のまま放っておくこともできました。 それが2024年4月1日から変わりました。相続登記(名義を相続人に変える手続き)が義務になったのです。

項目中身
期限相続で不動産を取得したと知った日から3年以内。遺産分割で取得した場合は、分割の日から3年以内
しなかったとき正当な理由がなければ、10万円以下の過料
2024年3月以前の相続こちらも対象です。2027年3月31日までに登記が必要です
すぐに分けられないとき「自分が相続人です」と法務局に申し出る相続人申告登記で、義務はひとまず果たせます。ただし売るときには、正式な登記が要ります

つまり、誰がその不動産を引き継ぐのか、決めなければならなくなったということです。 先延ばしがきかなくなったことも、放棄が増えている理由の一つだと思います。

国に引き取ってもらう制度もありますが

2023年4月27日から、相続した土地を国に引き取ってもらう相続土地国庫帰属制度が始まっています。 ただし、建物がある土地は申請できません。 医院の建物が建ったままの土地は、そのままでは使えないということです。

費用もかかります。審査手数料が土地1筆あたり14,000円、引き取りが認められると、10年分の管理費にあたる負担金を納めます。 負担金は原則20万円で、市街化区域の宅地などは面積に応じて決まります。 解体費と合わせると、軽い金額ではありません。

放棄は「全部いらない」の手続きです

では、医院の建物と実家の田畑だけ放棄して、預金は受け取れるか。 できません。 相続放棄をすると、その相続について初めから相続人でなかったことになります。 プラスの財産も、マイナスの財産も、全部まとめて手放す手続きです。

項目中身
期限自分が相続人になったと知った時から3か月以内。親が亡くなった場合は、ほぼ亡くなった日から3か月です
どこで亡くなった方の最後の住所地の家庭裁判所に申し立てます
3か月で決められないとき家庭裁判所に、期間を延ばす申立てができます。3か月のうちに申し立ててください
先に財産を処分すると預金を使う、医療機器を売るなど、相続財産を処分すると、相続を認めたとみなされ、放棄できなくなります

院長の家で放棄を考えるときは、手放すものを全部並べてください。 医院の土地・建物だけでなく、預金、持分ありの法人なら出資持分、そして借入や連帯保証も一緒です。 保証は、院長が亡くなっても消えずに相続されます。 理事長の保証を外す方法は理事長の個人保証を外す|経営者保証ガイドラインの3要件に書きました。 持分の相続で何が起きるかは持分あり医療法人の相続で、実際に何が起きているかをご覧ください。

放棄の前に知っておきたい3つのこと

①次の順位の人に回ります。 お子さん全員が放棄すると、相続の権利は院長の親、親がいなければ兄弟姉妹に移ります。 知らないうちに親戚が相続人になっていた、ということが起きます。放棄するなら、次の人にも伝えてください。
②住んでいる人には、管理が残ります。 放棄した時にその家や建物を実際に使っている人は、次の相続人などに引き渡すまで、自分の財産と同じように保存する義務があります。 医院併用住宅に住み続けているお子さんなどは、放棄すれば終わり、ではありません。
③死亡保険金は受け取れますが、非課税枠は使えません。 死亡保険金は受取人の財産なので、放棄しても受け取れます。 ただし相続税の計算では、「500万円×法定相続人の数」の非課税枠は、放棄した人には使えません。

相続税がかからない家でも、相続は起きます

国税庁の集計では、2024年に亡くなった方は約160万5,000人。 そのうち相続税の申告があったのは約16万7,000人で、課税割合は10.4%でした。 およそ9割の家は、相続税がかかりません。

でも、相続そのものは、どの家にも起きます。 相続税がかからなくても、不動産も、借金も、保証も、誰かが引き継ぐか、放棄するかを決めなければなりません。

極端な例で考えてみます。 財産が3億円あって、相続税を5,000万円払っても、2億5,000万円が手元に残ります。 一方、相続税はかからなくても、毎年30万円の管理費が出ていく土地を引き継いだら、10年で300万円です。 どちらがうれしいかは、言うまでもありません。

院長の家は、相続税がかかる側に入ることが多いと思います。 それでも順番は同じです。相続税をいくら減らすかより先に、何を残すかを決める。 相続税の対策で建てた建物や買った土地が、子の代で負動産になっては意味がありません。

院長が元気なうちにやる、財産の棚卸し

放棄の期限は3か月しかありません。 亡くなってから、どこに何があるかを調べ始めても、間に合わないことがあります。 だから元気なうちに、話せるうちに、財産を書き出しておくことです。

預金や保険は、ある程度は家族にも分かります。 見えにくいのは、不動産と借入・保証です。ここを中心に、1枚にまとめてください。

書き出すものどこを見れば分かるか
不動産(医院・自宅・実家・田畑・山林)毎年届く固定資産税の納税通知書と課税明細書、登記簿
毎年かかるお金(固定資産税・修繕・管理費・田畑の整備の負担など)通帳の引き落とし、納付書
借入・リース返済予定表、リース契約書
保証(医療法人の借入、親族や知人の借入)金融機関との保証契約書
出資持分(持分ありの法人)定款、決算書。評価額は税理士に計算してもらう
保険保険証券(受取人も確認)

書き出したら、残すものと手放すものを分けます。 いらない土地は、持ち主が元気なうちなら売れます。 医院は、継ぐ人がいるか、譲る先を探すか、閉じるかを決めます。 3つの出口の手順は医療法人の出口|身内に継ぐ・他人に譲る・自分で閉じるにあります。

医療法人の決算書も見直してください。 使っていない土地、回収できない貸付金、価値のない資産が残っていれば、それは法人にとっての負の財産です。 本当の姿は債務超過かもしれません。

ご両親の分は、帰省のときに

院長ご自身の分だけでなく、ご両親の財産も同じです。 親子でも財布は別で、親の財産を把握している人はほとんどいません。私もそうです。 お盆や年末年始の帰省のとき、「相続したいからではなく、困らないために知っておきたい」と切り出してみてください。 固定資産税の課税明細書を一緒に見るだけでも、どこに何があるかが分かります。

第三者に入ってもらう

家族だけで話すと、揉めることがあります。私も親戚と話して、少し揉めました。 それに、嫌な話はどうしても先延ばしになります。 お金を払って、第三者に入ってもらうほうが、結局は早く確実です。 弁護士・司法書士・行政書士・税理士など、資格のある専門家に頼んでください。 「財産の整理」を入り口に、保険を売ることが目的の相談先もあるので、そこは注意してください。

相続で困るのは、お金が足りない家ではありません。 何があるか分からないまま、3か月で決めなければならない家です。 元気なうちの棚卸しが、子の代への何よりの準備になります。

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最終更新:2026年10月31日

この記事について
本記事は一般的な情報提供を目的としたものであり、個別の税務・法務の判断を保証するものではありません。記載の件数・制度は執筆時点(2026年10月)の公表資料にもとづくもので、その後の改正等により変わる場合があります。相続放棄・相続登記などの実際のお手続きにあたっては、家庭裁判所・法務局および弁護士・司法書士・税理士等の専門家にご確認ください。
税理士・行政書士 山下久幸

税理士・行政書士山下 久幸

福岡で税理士事務所を営む。医療法人の設立・税務と、資産形成・相続サポートを専門とする。

税理士と行政書士の資格を一人で保有し、法人化の判断から認可申請、設立後の顧問、相続の設計までを一貫して担当している。