はじめに、正直にお伝えしておきたいことがあります。

書籍やSNSで見かける「マイクロ法人」の話は、そのほとんどが個人事業主を前提に組み立てられたものです。

国民健康保険と国民年金に入っている個人事業主が、本業とは別に小さな法人を作り、社会保険の入口をそちらに移す——という筋書きが中心にあります。

ところが医療法人の理事長は、すでに法人をお持ちです。医療法人から役員報酬を受け取り、健康保険と厚生年金にも加入している。

つまり、マイクロ法人が目指しているゴールの大部分に、先生はもう到達しています。

この記事では、その前提のズレをはっきりさせたうえで、「医業以外の収入がある理事長」に限って意味を持つ論点だけを取り出して整理します。

当てはまらない先生には、当てはまらないと申し上げます。

マイクロ法人の一般的な考え方は、動画でも解説しています(個人事業主向けの内容です)。

この記事の結論

医療法人の理事長も、マイクロ法人を作ったほうがよいのですか。
一般に語られている意味では、当てはまりません。
マイクロ法人の主眼は「国民健康保険・国民年金から、法人の社会保険へ移ること」にあります。

理事長はすでに医療法人を通じて健康保険・厚生年金に加入しているため、この効果はすでに得ている状態です。
まったく関係のない話ですか。
医業以外の収入がまとまった額ある場合には、検討の余地が出てきます。
書籍の印税、講演料、原稿料、動画やコンサルティングの報酬などです。

ただしこの場合の目的は社会保険料ではなく、所得分散と税率差のほうです。
気をつけることは何ですか。
医療法人の理事長には、一般の法人経営者にはない論点があります。
医療法人の非営利性との整合性、管理者としての専念義務、医療法人と取引が生じる場合の利益相反です。

加えて、先生個人の名前で受けた講演料や原稿料を法人の売上にできるかという税務上の問題もあります。

一般論で判断せず、必ず個別にご相談ください。

そもそもマイクロ法人とは——前提は「個人事業主」

マイクロ法人という言葉に、法律上の定義はありません。実務では、売上や従業員をほとんど持たない、ごく小さな法人を指して使われます。プライベートカンパニーと呼ばれることもあります。

よく語られる使い方は、こういうものです。個人事業主が本業を個人のまま続けながら、別に小さな法人を作る。

その法人から少額の役員報酬を受け取ることで、健康保険・厚生年金の被保険者になる。

すると、国民健康保険と国民年金からは抜けることになり、社会保険の負担が変わってくる——という筋書きです。

あわせて、給与所得控除が使えるようになる家族に給与を出して所得を分けられる経費として認められる範囲が個人より広がるといった副次的な効果も語られます。

この話が前提にしていること

いま挙げた効果のうち、いちばん大きいとされる社会保険の部分は、「国民健康保険・国民年金に入っている人」であることが出発点です。ここが崩れると、話の骨格そのものが変わります。

理事長にそのまま当てはまらない理由

医療法人の理事長は、医療法人から役員報酬を受け取る役員であり、被保険者です。

健康保険(協会けんぽ、または医師国保に法人として加入しているケース)と厚生年金には、すでに加入しています。

つまり、マイクロ法人が作ろうとしている「社会保険の入口」を、先生はもう持っているということです。

ここに、もう一つ法人を足しても、入口が二つになるだけで、負担が軽くなる方向には自動的には働きません。

むしろ手続きが増えます

二つの法人から役員報酬を受ける場合、「二以上事業所勤務届」を提出し、標準報酬月額は両方の報酬を合算して決められます。

保険料はそれぞれの報酬額に応じて按分されるだけで、単純に減るわけではありません。

「法人を分ければ社会保険料が下がる」という話を、理事長の状況にそのまま持ち込むと誤ります。

なお、標準報酬月額には上限があるため、すでに高い役員報酬を受けている先生の場合、追加の報酬に対する保険料の増え方は一律ではありません。

ただしこれは先生ごとの報酬水準によって結論が変わる話で、一般論として「得になる」とは言えない部分です。

マイクロ法人の主眼は国民健康保険・国民年金から法人の社会保険へ移ることだが、医療法人の理事長はすでに健康保険・厚生年金に加入しているためこの効果は得ている。関係するのは医業以外の収入がまとまった額ある場合のみ。
マイクロ法人の主眼である社会保険料の効果は、理事長はすでに得ています。

関係してくるのは、医業以外の収入がある場合

では、理事長にとって法人をもう一つ持つ意味がまったくないかというと、そうとも限りません。医業とは別に、理事長個人が受け取っている収入がある場合です。たとえば——

これらは通常、理事長個人の雑所得や不動産所得として、医療法人からの役員報酬に上乗せされる形で課税されます。

役員報酬がすでに高い水準にある先生の場合、上乗せ分には所得税・住民税の高い税率がそのままかかります。

所得税は最高45%、住民税10%を合わせると合計55%の世界です。

この部分を法人で受けられるとすれば、法人税等の税率(医療法人は所得800万円以下が20%、超える部分が30%)との差が生まれます。

さらに、法人から家族へ給与を出す形にできれば、所得を分散する余地も出てきます。

ここが、理事長にとって唯一「マイクロ法人的な話」が接点を持つ場所です。

ただし、いちばん大きな壁がここにあります

先生個人の名前で依頼された講演や執筆の報酬を、法人の売上にできるとは限りません。税務上は「誰が実際にその収入を得たのか」で判断されます(実質所得者課税)。

先生でなければ提供できない役務——特定の医師個人に対する講演依頼や執筆依頼などは、法人に付け替えても個人の所得と扱われる可能性があります。

契約の相手先や請求の名義を含めて、実態から組み立てる必要があります。

コストは必ず先に置いてください

法人を一つ増やすと、収入がなくても出ていくものが生まれます。おおよその目安は次のとおりです。

項目目安
設立費用 合同会社でおよそ10万円前後、株式会社でおよそ25万円前後(実費ベース)
法人住民税の均等割 赤字でも毎年およそ7万円(資本金1,000万円以下・小規模の場合)
決算・申告の実務 帳簿付け、法人税・消費税の申告。税理士に依頼する場合はその報酬
社会保険の手続き 役員報酬を出す場合、二以上事業所勤務届などの届出が発生

年間の副収入がこのコストを大きく上回らなければ、そもそも成立しません。目安として、医業以外の所得が年間で数百万円規模になってはじめて検討の土俵に乗る、というのが実務的な感覚です。

理事長だけにある、3つの独自の論点

ここからが、一般の法人経営者向けの記事には書かれていない部分です。医療法人の理事長が別の法人を持つことには、医療法という別の物差しがかかります。

1. 医療法人の非営利性との整合性

医療法人は剰余金の配当が禁止された非営利の法人です。

理事長が別に営利法人を持つこと自体を直接禁じる規定はありませんが、その営利法人を通じて医療法人の利益が実質的に外へ流れているとみられれば、非営利性の観点から問題になり得ます。

都道府県の指導や解釈にも幅があります。

2. 管理者としての専念義務

理事長は多くの場合、同時に診療所や病院の管理者(院長)でもあります。

管理者には、その施設の管理に専念することが求められており、他の業務との兼務が問題視される場合があります。

別法人の代表者に就くこと自体が直ちに問題になるとは限りませんが、事案と自治体によって判断が分かれる領域です。

事前の確認が要ります。

3. 医療法人との取引が生じる場合の利益相反

新しく作った法人が、医療法人と取引を行う場合——たとえば医療法人にコンサルティングを提供する、備品を納入する、不動産を貸すといった形です。

これは理事長が両側に立つ取引になり、利益相反として扱われます。

この場合に必要になること

社員総会または理事会での承認場合によっては特別代理人の選任都道府県へ提出する事業報告書等での開示が必要になります。

加えて、取引価格が相場から離れていれば、医療法人側で寄附金や役員賞与と認定されるリスクもあります。

いわゆるMS法人(メディカルサービス法人)をめぐる論点と重なる領域で、ここは絶対に自己判断で進めないでください。

順序としては、まず医療法人の中の所得分散から

最後に、優先順位の話をさせてください。

医療法人の理事長にとって、所得分散の本来の主戦場は、新しい法人を作ることではなく、いまお持ちの医療法人の中にあります。

配偶者やご家族を理事に迎えて役員報酬を分ける方法は、追加の法人も設立コストも均等割も必要としません。

効果の大きさに対して、手間とリスクがはるかに小さい。

詳しくは医療法人の所得分散|家族を理事にする節税の考え方と注意点で整理しています。

まずこちらを検討し、それでもなお医業以外の収入が相当額あり、かつ実態として法人で受けられる形が作れる場合に、はじめて「もう一つの法人」が選択肢に入る——この順序をおすすめします。

この記事の位置づけ

本記事は、医業以外の副収入がある先生に向けた「追加的な選択肢」の紹介であり、医療法人の理事長一般にマイクロ法人をおすすめするものではありません。

当てはまらない先生のほうが多い、という前提でお読みください。

先生の場合はどうなるか、一度整理しませんか。

医業以外の収入がどの程度あり、それを法人で受ける実態が作れるのか。そして医療法上の論点をクリアできるのか。

ここは一般論では判断できない部分です。すでに医療法人の先生には「決算書ワンポイント診断」を無料で行っています。

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最終更新:2026年9月1日

この記事について
本記事は一般的な情報提供を目的としたものであり、個別の税務判断を保証するものではありません。記載の制度・取扱いは執筆時点(2026年8月)のものであり、その後の法改正等により変更される場合があります。実際のご判断にあたっては、必ず税理士等の専門家にご相談ください。
税理士・行政書士 山下久幸

税理士・行政書士山下 久幸

福岡で税理士事務所を営む。医療法人の設立・税務と、資産形成・相続サポートを専門とする。

税理士と行政書士の資格を一人で保有し、法人化の判断から認可申請、設立後の顧問、相続の設計までを一貫して担当している。